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私が働いているのは、障害者を支援する施設だから、障害者に対しては理解ある職員だが、職員の中の無能な人に対してはひどく冷酷である。障害者の命を守ることを考えれば当たり前だと言えば、それまでだが、私には当たり前のことと思えない。「お金を払ってくれる無能*1な人に対しては優しく、お金を支払わなければならない無能*2な人には冷たく」ということだろうか。それだったら、障害者を社会進出させる為に、自立支援を行っている意味は一体何の為だろうか。障害者が社会進出出来たとしても、この職員らの仕打ちと同じ仕打ちを受けることになるなら、社会進出するメリットなんてないではないか。
まともでない人とは・・・
・やることなすこととんちんかんな人。
・他人に迷惑を掛ける人。
・人の話を理解出来ない人。
・空気が読めない人。
・感じが悪い人。協調性がない。
・会話が下手な人。
世の中ではまともな健常者たちが大手を振って歩いているが、まともではない健常者は、障害者と同様に、日々、偏見・差別の目にさらされている。企業ではまともであることを強要され、地域社会でもまともであることを強いられて、家族までもまともではない子供がいれば、世間に顔向け出来ないという有様である。
一体"まとも"のどこがいいのか。
・他人に迷惑を掛けない。
・物事の理解が早い。
・その場の雰囲気を乱さない。空気を読む。
・感じが良い。まともな人同士の協調性がある。
・会話が上手。
とかそういったことか?冗談じゃない。そんなこと、くそくらえである。
まともの短所は・・・
・まともではない人に冷酷である。
・許容量が非常に少ない。
・まとも以外のことが分からない。
・まともでない人の気持ちが分からない。
・まともであることを誇りに思っている。
まともな人は、まともでない人に、こうしろああしろと言うけれど、言えば言うほど出来なくなるではないか。色々言えば言うほど色々なことを考えるではないか。それなのに今度は「色々なことを考えないでそれに集中してください」と言われても傲慢そのものである。
民族紛争がない日本では、まとも紛争というか、まとも冷戦をいつも肌で感じている。まともな人はまともでない人を迫害する。まともでない人はまともになろうと努力するが、それでもまともになれない自分を責め続ける。まともでない人は、生きている心地がしない。まともな人はまともでない人を、そこまで苦しめていることに全く気付いていない。少しまともでない人までも、自分が迫害されることを恐れて、少しもまともでない人を蹴落とそうとする。そういう少しもまともではない人が犯罪に至ったり、自殺したり、することもあるのではないかと思う。日本人ばかりがまともを崇めている訳では決してないと思うが、外国より遥かに多いのは明らかである。日本を変えたいなら、まずまともであることを強要する教育制度を廃止し、まともな人と、そうでない人が共存出来るような教育体制を早急に作ってもらいたい。
まともであることなど障害者には出来るわけがないし、軽度の障害者にそれを教え込む自立支援よりも、障害者を受け入れる側がもっと寛容になるべきではないか。それと同様に、健常者のまともでない人にまともを強いても出来るわけがないし、まともでない健常者を容赦なく切り捨てる社会のあり方に問題がある。
そういう世の中では障害者は障害者でしかなく、人間にはなれないし、まともでない健常者もまた人間になれる訳がない。