さ・え・らジャポン


昨日のTV*1ですごいことを言ってた。現代人*2 は、見えないもの(相手)を"待っている"って。皆、待っているんだって。
メールを待っている。電話を待っている。皆、誰かからのアクションを待っている。誰かが気にしてくれるのを待っている。何かが起こるのを待っている。幸せになるのを待っている。私達は、待っている群集なんだ。そうだ、確かにそうだと思う。
私も何かを待ってる。淋しさを感じると何かを待ってしまう癖が付いてる。自分からの働きかけではなく、相手からの働きかけを待っているのだ。誰かに優しくされるのを待っている。何か楽しいことが起きるのを待っている。休日が来るのを待っている。


"待っている"ということは、"今をやり過ごす"という姿勢に似ているか?うん、結構似ていると思う。徹夜で必死の時は、待ってないからね。そうだとすると、そんなに良いことではないような気がする。それならば直したい、この待ちの姿勢。どうしたら直るのか。何かに向かっていくことでしか直せないのじゃないかと思う。向かっていく。向かっていく。何かに。我武者羅に。
そういえば、我武者羅な人って、最近、とんと見かけない。自分も、我武者羅になることは殆どなくなったし、皆、あっさりさっぱりとしてスマートだけれど、それでも、待っている。何かを。誰かを。

今日も、電車の中の人々は皆、携帯を見ている。私は、こうして、理由もなくパソコンを見ている。
今日も私達は、見えない誰かから見えない何かが来るのを待っているんだ。

*1:視点・論点」 "見えない群集"というタイトル 

*2:PIZZICATO FIVE/さ・え・ら・ジャポン   「現代人」というヘンな歌あり。いや、素敵な歌。